何のために生きるのか 3
                            2022年6月26日 寺岡克哉


 いったい自分は、何のために生きるのか?


 これは、

 人間として生きていれば、誰でも、一度はもつ疑問ではない
でしょうか。



 じつは私も、

 10代の頃から、40年ぐらいの間、これまで何度も何度も、

 この疑問に悩まされ、それについて考えた経験があります。



 そのようにして今、

 「何のために生きるのか?」という問いに対する「答え」が、

 また少し、見えて来たような気がしましたので、

 今回は、それについて書いてみようと思います。


          * * * * *


 ところで、

 今回のエッセイの題名を、「何のために生きるのか 3」とした
のは、

 エッセイ128「何のために生きるのか 1」

 エッセイ129「何のためにいきるのか 2」

 という文章を、かなり以前になりますが、過去に書いていたか
らです。



 それらの文章は、今から18年ぐらい前に書いたものですが、

 現在になって、そのエッセイを再(ふたた)び読み返してみると、

 ちょっと堅苦しくて強引であり、自分の思いや考えを、読者の
方に押し付けているような感が否めませんでした。



 それで今回は、

 ある特定の価値観を、読者の皆さんに押し付けることなく、すこ
し緩(ゆる)い感じにして、

 もっと幅広く、たくさんの人々が、受け入れやすいような文章を
書いてみたいと思います。


          * * * * *


 さて、

 「何のために生きるのか?」という問いに対して、

 その「答え」として考えられるものを、私の思いつくままに、

 どんどん挙げてみると、およそ以下のようになります。



 死にたくないために生きる。

 生き続けたいために生きる。


 お金のために生きる。

 物欲を満たすために生きる。

 食欲、性欲を満たすために生きる。

 快楽のために生きる。


 自分のために生きる。

 親のため、兄弟のため、妻や夫のため、子供の
ために生きる。

 仲間や友人のために生きる。

 世のため、人のために生きる。


 家のために生きる。

 会社や組織のために生きる。

 国家のために生きる。

 世界のために生きる。


 人類繁栄のために生きる。

 地球の生命全体のために生きる。

 地球環境を守るために生きる。


 仕事のために生きる。

 趣味のために生きる。


 芸術、文化、スポーツのために生きる。

 教育、学問、研究のために生きる。


 権力や地位、名声、名誉のために生きる。

 歴史や伝統のために生きる。


 愛のために生きる。

 復讐のために生きる。


 天国へ行くために、現世を正しく生きる。

 良い転生をするために、現世で徳(とく)を積んで生きる。

 永遠の生命のために生きる。

 真理を極めるために生きる。

 神のために生きる。



 ・・・まだまだ他にも、たくさん考えられるかと思いますが、

 「何のために生きるのか?」という問いに対して、

 じつに多くの「答え」が、この世には存在しているのが分かり
ます。


          * * * * *


 ところで、上で挙げた、さまざまな「答え」において、

 「〇〇のために生きる」の、〇〇に相当する部分は、

 「そのため(〇〇のため)にこそ、生きる価値があるのだ!」
と、確信できるものであり、

 つまりそれは、人それぞれが持つ、「生きる価値観」であると
言えます。



 およそ人間は、

 この世に存在する、多種多様な「生きる価値観」の中から、

 それぞれが、自分の「生きる価値観」を発見し、選択し、

 あるいは、親や学校、会社、世間などから、「生きる価値観」
を与えられたり、選択させられ、

 そうして得た「生きる価値観」のために、生きているのだと言え
るでしょう。



 結局のところ、

 「何のために生きるのか?」という問いに対して、

 「”生きる価値観” のために生きる」というのが、

 いま現在の私が、いちばん妥当だと考えている「答え」です。



 何だか具体性に乏(とぼ)しく、「ぼんやり」とした答えになって
しまいましたが、

 特定の価値観を押し付けることなく、幅広く多くの人が、受け
入れることのできる「答え」というのは、

 このようなものではないかと思っています。


          * * * * *


 ところで最後に、

 私から、ちょっと申し上げておきたいことが、2つあります。



 まず1つ目は、

 不正による金儲けや、詐欺(さぎ)や窃盗(せっとう)など、他人
に損害を与えるもの、

 さらには、大量殺人やテロ、戦争など、たくさんの人々を大きな
不幸に巻き込むものを、

 「生きる価値観」として選択したり、選択させられたりしないで
ほしいと願ってやみません。



 そして2つ目は、

 「生きる価値観」というのは、ほんとうに多種多様であり、たくさん
存在しているので、

 たった1つの「生きる価値観」に人生を縛(しば)られ、それが達成
できなかったからと言って、絶望して死を選んだりすることが無いよ
うに、心から願っています。


 この世の中には、

 「生きる価値観」が、本当に、ものすごくたくさん存在しています。

 そのことを知って頂き、1つや、2つや、3つや、4つぐらいの挫折
では、全然びくともしないような、

 そんな、たくましい人生を、できるだけ多くの人に歩んでもらいた
いと、願っている次第です。



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