心の宝・過ぎたるは及ばざる
2022年5月29日 寺岡克哉
過ぎたるは猶(な)お及ばざるがごとし。
これは、論語(注1)という書物にある言葉で、
「ゆきすぎたのは、ゆきたりないのと同じようなものだ」という
意味です。
私なりには、この言葉を、
「何事(なにごと)も、やり過ぎは良くない!」と、解釈していま
すが、
じつにこれは、「生命の真理」を表わしており、私の生きる指針
になっています。
それで、この言葉は、私の「心の宝」となっているのです。
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注1 論語:
孔子(注2)と、その高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録
した書物。
注2 孔子(紀元前552年~ 紀元前479年):
中国の思想家で、釈迦、キリスト、ソクラテスと並んで、世界の
四聖人に数えられている。
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ところで、
「過ぎたるは猶(な)お及ばざるがごとし」という、この言葉が、
なぜ「生命の真理」だと言えるのか、ちょっと説明してみたい
と思います。
まず例えば、
「食べる」ことは、生命を維持して行くうえで、ものすごく大切
なことです。
私たち人間も、食べることが出来なければ、栄養失調になっ
て病気をしたり、最悪の場合は餓死してしまいます。
ところが「食べ過ぎ」てしまうと、
肥満になって心臓に負担をかけたり、あるいは生活習慣病に
罹(かか)ったりして、
生命を維持するのに、かえってマイナスになってしまうのです。
また例えば、
「睡眠を取る」ことも、生命を維持して行くうえで、ものすごく大切
なことです。
が、しかし、
「睡眠を取り過ぎ」て、寝てばかりいると、運動不足になって体力
が落ち、免疫力も落ちて病気に罹りやすくなり、
生命を維持して行くのに、かえってマイナスになってしまうのです。
そして「運動」も、体力を維持して健康を保つためには、とても重要
なものですが、
しかし体を酷使しすぎると、体力が消耗してしまい、たとえば無理
な登山などを強行した場合には、疲労死をすることさえあるのです。
このように、こと「生命現象」にとって、
「過ぎたるは猶(な)お及ばざるがごとし」という言葉は、
絶対に否定することが出来ない真実であり、「生命の真理」となっ
ているのです。
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ところでまた、
現代社会の深刻な問題として、「働き過ぎ」という現象があります。
たしかに、
働いて金を稼(かせ)ぎ、衣食住を整(ととの)えなければ、人間は
生命を維持するのが難しくなるでしょう。
が、しかし、
働き過ぎて体を壊したり、精神を病んだり、最悪の場合は過労死や
過労自殺をしてしまっては、まさに本末転倒だと言わざるを得ません。
なぜなら労働の目的は、自分や家族の生命を、健康に維持すること
にあるからです。
このように、
「働き過ぎ」という、現代社会における深刻な問題にたいしても、
「過ぎたるは猶(な)お及ばざるがごとし」という言葉が、とても大切
な教訓として生きているのです。
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ちなみに、現代社会で過労死や過労自殺が起こるのは、
仕事をたくさん、長い時間やればやるほど、偉(えら)いし、すご
いし、すばらしいことだという、
あるいは、仕事をたくさん長時間やり続けるのは、まったく当た
り前だし、そうしなければならないという、
そのような「生命の真理」に反する「歪(ゆが)んだ価値観」が、
日本の社会に蔓延(まんえん)しているからです。
「過ぎたるは猶(な)お及ばざるがごとし」という孔子の言葉は、
彼の死後2500年経っても、「現代の歪(ゆが)んだ価値観」を
指摘する能力をもっており、
この事実によって、その言葉が、時代によらない「生命の真理」
であることが証明されるのです。
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