私の神 9
                            2022年5月22日 寺岡克哉


●「私の神」が禁止するもの


 以前に書きましたように、

 「私の神」とは、「この世を、この様にしているもの」でした。



 つまり「私の神」とは、

 人間や人類社会、生命、生態系、地球、太陽系や銀河系を含め
た宇宙全体を、

 この様に存在させ、この様な状態にし、この様な状況にしている
ものでした。



 そして、ものすごく嫌な話ですが、

 いじめ、暴力、盗み、児童虐待、強姦、殺人、戦争、大量虐殺・・・

 これらの悪が、否定できない事実として、この世に存在している
以上、

 「私の神」は、それらの悪が存在することを、禁止していないので
した。



 しかしながら「私の神」は、

 悪の存在を、好ましくないものとして退けるように、この世に対して
働きかけをするのでした。



 つまり「私の神」は、この世で悪が行われた場合、

 苦しみと不幸を人々に与えて、その悪を止(や)めさせるように、

 働きかけをしているわけです。



 このように、悪の存在さえも、禁止していない「私の神」ですが、

 それでは一方、「私の神が禁止しているもの」とは、一体どんな
ものでしょうか?


 今回は、それについて書いてみたいと思います。


            * * * * *


 上でも書きましたが、

 「私の神」とは、「この世を、この様にしているもの」です。



 だから、

 この世に存在しているもの(この世に存在している事物)は、

 誰が何と言おうとも、「私の神」は、その存在を禁止していない
のです。



 なので、これを逆に考えると、

 「私の神」が禁止しているものとは、それらとは全く反対のもの。

 つまり、「この世には絶対に存在しない事物」です。



 たとえば、

 200歳を超える寿命の人間。

 身長が5メートル以上もある人間。

 体重が1000キロ以上もある人間。

 絶対に老いない人間。

 絶対に死なない人間。

 完全に死んだ人間が、生き返ること。


 永遠に不変な物体。

 絶対に動かない物体。
(地球は自転や公転をするし、太陽系は銀河系内で運動して
いるし、銀河系は宇宙の膨張に従って運動しているので、絶対
に動かない物体、つまり完全に静止している物体というのは、
この世に存在しません。)

 光の速さよりも、速く動く物体。

 時間が、現在から過去に流れること。

 等々、これら上のような、生物学的、自然法則的に、絶対に
存在し得ない事物が、

 「私の神が禁止しているもの」なのです。


            * * * * *


 ところで、

 これまで存在しなかった物が、発明されたり発見されたり、

 あるいは、これまで存在が知られていなかった事象や法則が、
新しく発見されることがあります。

 研究や発明とは、おしなべて、そのような活動であると言える
でしょう。



 そして、もちろん、

 これらの新しく発見された物や事象や法則は、「私の神」が、
その存在を禁止していたのではありません。

 それらの物や事象や法則は、

 この世にもともと存在していたり、存在できる可能性が完全に
あるのに、

 人類の側が、まだそれに気づいていなかったり、作り出すことが
出来なかったという訳です。



 ちなみに、

 「研究」とは、この世がどのようになっているのか、さらに広く、さら
に深く知ることだと、私は捉(とら)えています。

 そしてそれは、

 「私の神」というものを、さらに広く、さらに深く知ることと、まったく
同じことなのです。



 私は、「研究」というものに対して、

 ある種の「畏敬(いけい)の念」ともいえるような感情を抱いていま
すが、

 それは何故(なぜ)かと言えば、

 研究することを通して、「私の神」との繋(つな)がりを感じるからな
のだと、

 以前から思っていた次第です。



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