「良い心」の重要性 2
2022年5月1日 寺岡克哉
近ごろ、
「良い心」の重要性というものを、心の底から実感しています。
というのは、
ロシアのプーチン大統領の心が、もう少し良かったら・・・
つまりプーチン大統領が、人々にたいする思いやりを、もう少し持っ
ていたら、
自分の野望のために、ウクライナへの侵略なんか、実行しなかった
と思うからです。
プーチン大統領という、たった1人の人間の心が悪かったために、
何万人もの人々を死に追いやり、何100万人もの人生を破壊して
いるのです。
しかもプーチン大統領は、さらに「核兵器の使用」まで仄(ほの)めか
しています。
もしも核戦争なんか勃発(ぼっぱつ)したら、もっともっと悲惨な状況
になってしまうでしょう。
それほど、「良い心」というのは、
人類の存続にとって、ものすごく重要なものだと言わざるを得ません。
* * * * *
ところで、
今回のエッセイの題名を、”「良い心」の重要性 2” としたのは、
19年前に書いたエッセイ60の題名が、”「良い心」の重要性” だっ
たからです。
そのエッセイ60を、いま読み返してみても、
19年前に書いた文章であるにもかかわらず、ぜんぜん古臭さを
感じません。
しかしそれは、まったく当然のことなのです。
なぜなら、「良い心が重要」だということは、釈迦やキリストの時代、
つまり2000年以上も前から、ずっと世界中で説かれ続けており、
いつの時代でも、どこの国でも、人々の「良い心」を育てることが、
とても大切な課題だったからです。
なので、
たった19年ぐらいの年月では、「良い心の価値」が古くなる訳が
ないのです。
このように、「良い心が重要」だということは、
どんな時代にも、どこの国にもよらない、「人類社会における普遍
的な真理」であるとさえ、私は考えています。
このたびのプーチン大統領の悪行を、まざまざと見せつけられる
ことにより、
「良い心が重要」だという真理を、ますます心の底から実感させら
れた次第です。
* * * * *
ところで、
「良い心が重要」だということが、人類社会における普遍的な真理
であるのにもかかわらず、
どうしてプーチン大統領の心は、ものすごく悪くなったのでしょう?
これは、私の推測(すいそく)にすぎませんが、
プーチン大統領のような「独裁者」には、すごく「ありがち」なことと
して、
おそらく彼は、きれいごとでは済まない「権力闘争」を、勝ち抜いて
きたからではないかと思われます。
つまり、権力闘争のライバルに勝つために、
陰謀(いんぼう)や裏切り、陥(おとしい)れ、恫喝(どうかつ)、
さらには、誘拐、拘束、拷問、暗殺などの手段さえも駆使したため、
そのような環境の中で、だんだんと良心が無くなって行き、心が悪く
なって行ったのではないでしょうか。
そして、いよいよ権力のトップの座につくと、
周囲の者たちが、もはやプーチン大統領には、絶対に逆らうことが
できなくなり、
誰も諫(いさ)めることをせず、ご機嫌取りしかしなくなって、
プーチン大統領の悪い心が、臆面もなく表に出るようになったので
しょう。
これと似たようなことは、ごく身近な例として、
悪徳企業のワンマン社長などが、挙げられるのではないかと思い
ます。
このような、権力を振りかざす、心の悪い社長は、
従業員たちを、うつ病や、過労死、過労自殺をするまで働かせたり、
さらに酷(ひど)い場合は、利益追求のために安全対策を蔑(ない
がし)ろにして、大規模な人身事故をひき起こすことさえあります。
さらに一方、
歴史的に最も酷(ひど)い例としては、ナチス・ドイツのヒットラーが
挙げられるでしょう。
ヒットラーのような独裁者を、この世に生み出してしまったら、もう、
世界中が大惨事に見舞われてしまいます。
(ちなみに私は、ロシアのプーチン大統領が、ヒットラーのようになって
しまうのではないかと、ものすごく心配でなりません。)
* * * * *
以上、見てきましたように、
巨大な権力を持つ人間ほど、しっかりと「良い心」を保っていなけれ
ばなりません。
そうしなければ、世界中の多くの人々が、すごく悲惨な状況になって
しまいます。
それほど「良い心」というのは、人類社会にとって、本当にものすごく
重要であり、
いつの時代でも、どこの国でも、人々の「良い心」を育て、それを維持
して行くことが、
とても大切で、とても大きな課題となっているのです。
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