「私」とは何か 2 2004年2月22日 寺岡克哉
前回では、
1.自我意識としての私
2.肉体としての私
3.精神的な情報としての私
4.DNAとしての私
5.物質としての私
6.エネルギーとしての私
のうちの、1と2についてお話しました。今回は、その続きからお話したいと思い
ます。
3.精神的な情報としての私
これは、私の「理性」や「良識」。
あるいは、私の人生観や生命観、世界観としての「私」です。
ところで、この「精神的な情報としての私」と、1番目の「自我意識としての私」と
は、一体どこが違うのか? という疑問を持たれるかも知れません。
なぜなら、私の「良識」や「世界観」は、私の「自我意識そのもの」のように思える
からです。
しかしよく考えると、実はそうでないことに気がつきます。
というのは、私の「良識」や「世界観」、つまり「精神的な情報としての私」は、教育
や文化、あるいは風習などによって作られたものだからです。
何千年もの人類の歴史。そして世界中の人々の、色々なものの見方や考え方。
それらの影響を受けて、「精神的な情報としての私」が作られているのです。
自我意識が存在するだけでは、「精神的な情報としての私」は存在しま
せん。
それは例えば、私が赤ん坊のときから、オオカミなどの動物に育てられた場合を
考えてみれば分かります。
たとえ私がオオカミに育てられたとしても、「自我意識としての私」は存在するはず
です。なぜなら、自分の存在をつねに実感する「自我意識」は、たとえ私がそのよう
な状況になっても存在するはずだからです。
しかし、私の人間としての理性や良識。あるいは、素粒子から物質、生命、人間、
そして宇宙や神仏にいたる「私の世界観」。これら「精神的な情報としての私」は、
私がオオカミに育てられた場合は存在しないのです。
私の「ものの見方」や「考え方」、あるいは「感じ方」は、私が生まれるずっと前か
ら存在した、他のたくさんの人々の「精神的な情報」によって作られているのです。
そこが、「自我意識としての私」と違うところです。
前回でお話したように、「自我意識としての私」は、私の肉体が生きている
間にも次々と消滅していく「私」でした。
しかし「精神的な情報としての私」は、私が生まれる何千年も前から存在し
ているのです。
そしてそれは、私自身からも放たれて、他の人々の精神的な情報になって
いくのです。
たとえば私は、2千年以上も前から存在していた釈迦やキリストの思想を、「とても
すばらしい!」と感じています。だからそれらを、自分のできる方法で私のなかに取
り込みます。
そしてそれを、私の感性や、現代の科学的な知識などと照らし合わせて、私なり
の理解や解釈をします。
さらにそれらは、人に話したり文章に書くなりして私から放たれ、他の人々に取り
込まれて行くのです。
「自我意識としての私」は、自分の中にしか存在しません。
しかし「精神的な情報としての私」は、自分の中にももちろん存在するのですが、
しかしその大部分は「自分の外に存在する私」なのです。
私の外に存在していたものが、一時的に私のなかに流れ込んできて私に
独自の変化を遂げ、そして私の外に流れ出していく・・・。
その「一連につながった全体」が、「精神的な情報としての私」なのです。
「精神的な情報としての私」は、私が生まれる何千年も前からいたる所に存在し、
私が死んだ後もいたる所に存在する「私」なのです。
4.DNAとしての私
これは、DNA(遺伝子)の視点からとらえた「私」です。
これを分かりやすく極端に表現すれば、「私の本質とはDNAである!」というよ
うに、「私」を「DNA」のレベルに還元してしまう考え方です。
「DNA」としての私は、40億年前から存在する「私」です。
そして過去にも現在にも未来にも、この地球上に存在するすべての生命が、
「DNAとしての私」なのです。
これは、かなり荒唐無稽な主張です。が、しかし、「DNA」という視点から「私」をと
らえれば、確かにこのような主張が可能になるのです。
なぜなら「DNAとしての私」は、40億年前の、地球で最初の生命体のDNAとして
誕生したからです。
それが現在の私のDNAまで、一度も途切れることなく(死ぬことなく)、ずっと連続
して「増殖」と「変化」をくり返してきたのです。
そしてそれは、過去や現在や未来のすべての時代に存在する、すべての生物の
DNAについても、まったく同様に言えるのです。
それらすべてのDNAは、地球で最初に生まれたDNAと、一度も途切れることなく
連続してつながっているのです。
すべての時代に存在する、すべてのDNAはみな、地球で最初に生まれた
DNAと同じものなのです。
たしかに、地球で最初のDNAと、すべての時代のすべてのDNAとでは、その数
も種類もまったく桁違いです。
しかしこれは、精子と卵子が結合した直後の「一個の受精卵だった私」と、「現在
の私」との関係と、まったく同じように考えられるのです。
受精卵のときに「たった一個の細胞だった私」は、現在では60兆個ほどの細胞
に増えています。そして脳細胞や筋肉細胞、肝臓の細胞、皮膚の細胞など、多種
多様な細胞に分化しています。
しかしながら、「受精卵の私」と「現在の私」は、やはり「同じ私」なのです。
これと同じように、地球で最初に生まれたDNAと、すべての時代に存在する
すべてのDNAは、「同じDNA」と言えるのです。
「DNAとしての私」は、40億年前に「たった一個のDNA」として生まれました。
それが今では、数えきれないほどにその数が増え、3千万種を越えるともいわれ
るほどに、「DNAとしての私」は多種多様化したのです。(厳密には、同じ生物種で
あっても、生物個体が違えばDNAも異なります。)
それらすべてが、「DNAとしての私」なのです。
そして「DNAとしての私」は、この世に「生物」というものが存在する限り、存在し
続けます。だから少なくとも、あと数億年は存在し続けると思います。
以上をまとめると、
「DNAとしての私」は、40億年前から存在し続けています。
過去も現在も未来も、すべての時代に存在するすべての生物のDNAが、
「DNAとしての私」です。
だから「DNAとしての私」は、この世に生物が存在するかぎり存在し、少な
くともあと数億年は存在すると思われます。 と、なります。
5.物質としての私
申し訳ありませんが、これは次回にお話したいと思います。
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