父の葬式
2022年4月17日 寺岡克哉
今年の4月15日で、父が亡くなってから、まる1年になりました。
それで、ちょっと思い出したのですが、
じつは1年前に執(と)り行った「父の葬式」は、私がやりたいよう
に、まったく自由奔放(じゆうほんぽう)にやらせてもらいました。
そのため、ちょっと他では見られないような、とても変わった葬式に
なったと思います。
なので「父の葬式」が、一体どの様なものだったのか、本サイトで
紹介しようと思っていたのですが、
葬式後(父の死亡後)の、いろいろな手続きに追われているうち
に、いつしか忘れていました。
しかしながら、父の葬式から1年が経ち、
そのことを、私が風呂に入っていた時に、突然に思い出したの
です。
それで1年遅れではありますが、「父の葬式」について、ちょっと
紹介してみたいと思いました。
* * * * *
しかし、その前にまず、まだ父が生前で元気なときに、
私は以下のようなことを、あらかじめ父と、取り決めをしていたの
です。
●葬式は、ごく身内だけの少数でやりたいけれど、それで良いか?
父の回答は、それで全く良いということでした。
●坊さんに数十万円も支払うのはバカらしいので、葬式に坊さんを
呼ばなくて良いか?
父の回答は、それも全く良いということでした。
●坊さんを呼ばないので、葬式では、私が般若心経を唱えてあげよ
うと思うけれど、それで良いか?
父の回答は、「それで結構、結構」ということでした。
そこで私は、この取り決めのあと、父が亡くなるまでの2年間ぐらい、
「般若心経」を1日に1回、父に聞かれないように毎日唱えて練習して
いました。
父に聞かれないようにしていたのは、本人が生きているうちに葬式
の練習をしていたのを、知られたくなかったからです。
●坊さんを呼ばないので、戒名(かいみょう)を考えておいてほしい。
父の回答は、「雲水」で良いということでした。
私は、〇〇雲水の4文字とか、〇〇〇〇雲水の6文字とかでなく
て良いのかと聞き返しましたが、父は「ただの ”雲水” で良い」と言う
のみでした。
いざ葬式となったときに、親族からの批判を避けるため、
私は以上のようなことを、あらかじめ父と、取り決めておいたので
した。
* * * * *
そして昨年の4月・・・ 父の葬式を執(と)り行ったのですが、
新型コロナの流行もあって、葬式に参加したのは、私と妹夫婦の
3人だけとなりました。
しかし会場は、40人ぐらい入れる大きなもので、じつに広々として
いました。
私は、葬儀屋の担当者に、「こんなに大きな会場を使わせてもらっ
て良いのですか?」と質問したら、
その担当の方は、「どうせ空(あ)いているので、ぜひ使って頂きた
い」と、言ってくれました。
この、葬儀屋の担当の方は、じつに柔軟な対応をしてくれる人で、
葬式に坊さんを呼びたくないことや、その代わりに私が般若心経を
唱えたいと話しても、
とくに苦言を呈(てい)することなく、快(こころよ)く、その方針で葬式
の準備をしてくれました。
また、担当の方との打ち合わせでは、
坊さんを呼ばないので、「戒名(かいみょう)をどうするか?」という
話になりました。
私は、父が生前に、「雲水でいい」と言っていたことを話したら、
担当の方が、「何雲水(〇〇雲水)ですか?」と聞いてきたので、
私は、「ただの ”雲水” でいい」と、父が言っていたと話しました。
すると担当の方から、
それでは、ちょっとあれなので、「雲水 故 寺岡孝(父の本名)」
というのでは、どうでしょうと提案されました。
私は、「まさにそれだ!」と思い、「本当にそれは、とても良いです
ね」と、すぐに了承しました。
そのつぎに、打ち合わせでは、
遺体を棺桶(かんおけ)に納める時の衣装、つまり死装束(しに
しょうぞく)を決めることになりました。
そこで、担当の方から提案されたのは、
紫色の羽織(はおり)に、頭の近くには小さな「編み笠」、胴体の
横には小さな「杖」、足下には小さな「わらじ」を置くという、
いかにも旅をしながら修行をする「雲水」のような出(い)で立ちで
した。
私は思わず、「こんな衣装があったのですね」と言ったら、
担当の方が、「いろいろな宗派からのニーズがあるので、調べて
見たら、このような死装束もありました」と、教えてくれました。
もしも父が生きていて、この衣装を見たらと思うと、
「まことに結構!結構!」と言って、ものすごく喜んでいる様子が
目に映り、
私はとても感激しました。
* * * * *
以上のように、父の葬式は、
たった3人だけの少人数で、坊さんを呼ばず、戒名も勝手に決め
て、死装束は雲水風であり、私が読経をするという、
とても変わったものになりました。
しかしながら、父の生前の意思を、とくに無視したわけでなく、
父との別れを偲(しの)ぶ十分な時間が取れたので、なかなか
良かったと思っています。
(大人数の葬式になれば、その対応で忙しくなり、故人を偲ぶどこ
ろではなくなります。)
ちなみに、
これからの時代は、小規模な葬式も、ふつうに行われるようになっ
て行くと思いますが、
故人が生前のうちに、よく話し合って本人の意思を確認しておき、
その家族ならではの、自由でオリジナリティのある葬式を行うのも、
「結構ありなのかな」と、思っている次第です。
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