まる20年にあたって
                             2022年3月20日 寺岡克哉


 今年の3月20日で、第1回目のエッセイを書いてから、まる20年に
なりました。

 これまでエッセイを読んで頂いた方々には、たいへん感謝しており
ます。

 今後も、精力的にエッセイを書いて行きますので、よろしくお願いし
ます。


             * * * * *


 ところで、20年という年月は、けっこう長いものです。

 当然といえば当然ですが、この20年の間に、私の境遇(きょうぐう)
も、ずいぶん変ってきました。



 たとえば20年前は、私の父も母も、すごく元気でした。

 が、しかし、9年前に母の直腸癌が再発し、その後、食道や肺に
癌が転移して、6年前に母は亡くなってしまいました。


 また、母が亡くなった同じく6年前に、今度は父が肺癌になりま
した。

 そして昨年に、急性肺炎で、あっけなく父も亡くなってしまったの
です。

 ちなみに、そのときの肺癌の状況によると、あと1~2年ぐらいは
生きられそうだったので、とても悔(くや)しい思いをしました。


 それで現在は、

 私だけが、たった一人で暮らすように、なってしまったわけです。



 そしてまた、

 私自身の体力が、この20年の間に、ずいぶん衰(おとろ)えてきま
した。

 たとえば20年前は、5キロぐらいの距離を歩いたり、20キロぐらいの
距離を自転車で走っても、ぜんぜん何ともありませんでした。

 しかし最近では、近くのスーパーマーケットに、歩いて買い物に行っ
ただけでも、体がぐったりとして、足が攣(つ)りそうになってしまいます。



 さらには、

 2年前に心臓病(心房細動)を患ってしまい、お酒が飲めない体に
なってしまいました。

 じつは私は、ほとんど毎日のように酒を飲んでいた人間で、まさに、
お酒が人生の友でした。

 「一生お酒が飲めないなら、死んだ方がいい!」と言うのは、ちょっ
と大げさだとしても、

 私は、そんな気持ちが分からなくもないほどに、お酒が大好きな
人間だったのです。



 以上のように、この20年の間に私は、

 母と父を失って一人ぼっちになり、体力が衰えて、大好きな酒まで
も飲めなくなったわけです。

 なので傍(はた)から見れば、いまの私は、けっこう不幸な状況に
陥(おちい)っていると、思われるかもしれません。

 事実、私の知り合いや親戚から、そのように私を心配して下さる声
をかけて頂きました。


            * * * * *


 ところが!

 いま現在の私は、これまでの人生で、おそらく最高と思えるほどの、

 とても大きな幸福を感じているのです。



 しかしながら、

 なぜ私は、傍(はた)から見れば不幸な状況にあるのに、こんなに
大きな幸福を感じるのか、

 自分でも不思議に思ったので、ちょっと考えてみることにしました。



 そうしたら、現在の私が、

 これまでの人生で最高と思えるほどの「自由と解放感」を、

 感じているからだと言うことに、思い当たったのです。



 じつは・・・ 

 私は、人付き合いに縛られたり、約束の時間に拘束されるのが、
大嫌いな人間です。

 ところが私は、人と会う約束を平気で無視したり、平然と遅刻する
ようなことが、まったく出来ません。

 どちらかと言えば、人と交(か)わした約束や、決められた時間は、
きっちりと守る方(ほう)だと思っています。

 なので私は、人との付き合いや、決められたスケジュールなどに
対して、ものすごく大きなストレスを感じてしまうのです。



 しかし現在、すでに母も父も他界しており、介護などの必要が、
まったく無くなりました。

 そのため、

 「毎日、決まった時間に食事を作らなければならない!」とか、

 「自分が食べたいものでなく、母や父が好きなもので、しかも消化
が良く、軟(やわ)らかくて、食べやすいものを作らなければならな
い!」とか、

 「予約された日時に遅刻することなく、確実に病院へ連れて行か
なければならない!」とか、

 「母や父の容体(ようだい)が急変したら、すぐ病院に連絡しなけれ
ばならない!」とか、

 そのようなストレスを、いっさい感じなくて済むようになったのです。



 しかしながら私は、たしかに上で挙げたようなことにも、ストレスを
感じていたのですが、

 しかし、それよりも、さらにもっと大きなストレスを感じていたことが
あったのです。


 それは何かと言えば、

 「もしも私の身に何かあったら、親の介護が出来なくなる!」と、
いうことに対してです。

 つまり私が、骨折などの大怪我をしたり、入院するほどの病気に
罹(かか)ったり、何かの事故に遭(あ)って突然に死んでしまったら、
母や父の介護が出来なくなってしまいます。

 私にとっては、そのことが最も心配で、ものすごく大きなストレスを
感じていたのです。



 しかし、いま現在は、

 とつぜん私が入院したり、とつぜん私が死んだとしても、

 生命の維持に支障を来たすほど、困るような人間は、誰一人と
して存在しません。


 このような、

 「いつ自分がどうなっても、べつに誰も困らない!」という、

 ものすごく大きな自由と解放感。


 この、とてつもなく大きな「自由と解放感」にたいして、

 これまでの人生で得られなかったほどの「最高の幸福」を、

 いま現在、私は感じているのです。


             * * * * *


 以上、ここまで書いてきましたように、

 本サイトで、最初のエッセイを書き始めてから20年が経ち、

 私は、ストレスが無く、自由で解放された、幸福な身になりました。


 いま現在の、私の境遇(きょうぐう)は、

 私が理想としていた人生に、かなり近いものであると実感してい
ます。


 そしてまた、

 精神的に縛られるものが無くなり、思考が自由になって、ほんとう
に書きたいことが、書けるようになってきました。

(近ごろ書いている、「心の宝」シリーズや、「私の神」シリーズなど。)


 これからも、

 より一層の精進(しょうじん)をして、エッセイを書き続けて行きます
ので、

 よろしくお付き合い願えれば幸いです。



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