私の神 4
                             2022年2月20日 寺岡克哉


●「私の神」を感じさせるもの

 誰でも、雄大な自然などを見たりすると、

 ある種の「神々(こうごう)しさ」を感じることが、あったのではない
でしょうか。


 今回は、そのような、

 「私の神」を感じさせるものについて、書いてみたいと思います。



 まず最初に私は、

 「私の神」を感じさせるものについて、いろいろと思い出してみま
した。

 そうすると、私の場合は、「音」と「景色」があることに気がついた
のです。


 以下、そのような音や景色について、書いて行きたいと思います。


            * * * * *


●「私の神」を感じさせる音

 まず私に、「私の神」を感じさせてくれる音は、

 なんと言っても、雅楽(ががく)に使われる、笙(しょう)という楽器
の音色です。

 (笙の音色がどのようなものかは、動画サイトで検索すれば、すぐ
に聞くことができると思います。)

 私は、笙の音色を聞くと、

 天にいる「私の神」から、私に向けて、暖かい光を注がれている
ように感じるのです。



 また、パイプオルガンの音色も、「私の神」を感じさせてくれます。

 ちなみにパイプオルガンは、教会の音楽に使われるだけあって、

 誰でも、その音色を聞けば、ある種の神々しさを感じるのではない
でしょうか。



 さらさらと木々が風に揺れる音も、「私の神」を感じさせてくれます。

 天気の穏やかな日に、微風に揺れる木々の音を聞いていると、

 なにか自分が、大いなる自然に愛され、優しく語りかけられている
ような、安らぎと幸福を感じるのです。



 海の、波の音も、「私の神」を感じさせてくれます。

 私は、小学生から中学生のころにかけて、よく海釣りをしていまし
たが、

 日がな一日、何も考えずに波の音を聞いていると、何となく海と
自分が、一つになったような感じがしていました。

 たとえ魚が一匹も釣れなくても、日がな一日、波の音を聞いている
だけで、満足した幸せな気分になったものです。



 川のせせらぎの音も、「私の神」を感じさせてくれます。

 たとえば渓流釣りをしていて、川に神経を集中させていると、
せせらぎの音で、頭の中がいっぱいになります。

 そして、川と自分が一つになったような感じがするのです。

 また、

 山岳部で沢登りをしていて、川辺にテントを張って寝ているとき、
夜通しでせせらぎの音を聞いていると、

 そんなときも、川と自分が一つになったような感じがしていました。


 一日中、せせらぎの音を聞いていると、

 なにか自分の体が無くなって、川に溶け込んでしまうような、とて
も神秘的な感じがするのです。


            * * * * *


●「私の神」を感じさせる景色

 さて、「私の神」を感じさせてくれる景色についてですが、

 まず最初に挙げたいと思うのは、夜の星空です。

 しかも登山をしたときに、街(まち)の明かりのない、全天に広が
る星空を見ると、

 まるで、自分が宇宙に漂(ただよ)っているような、そして、自分
と宇宙が一つになったような、そのような感覚になるのです。



 朝の日の出も、「私の神」を感じさせてくれる景色です。

 東の空が、だんだんと明るくなって来て、いよいよ太陽が顔を
出し、

 暖かい日光が大地に射(さ)し始めると、何となく生命のエネル
ギーが注がれているように感じます。


 また、

 雨上がりの時などに、雲の隙間から太陽の光が漏れて、放射状
に光が降りそそいで見える現象、

 つまり光芒(こうぼう)も、「私の神」を感じさせてくれる景色です。



 大きな木、いわゆる大樹(たいじゅ)も、「私の神」を感じさせてくれ
ます。

 大樹を見上げると、生命のエネルギーに満ち溢(あふ)れているよ
うな感じがします。

 そしてまた、

 大樹が、その周りの生き物たちを、暖かく見守っているようにも感じ
るのです。



 縦走登山で、稜線上を歩いているときに見える壮大な山々も、
「私の神」を感じさせてくれます。

 また、

 稜線上や山頂から時々見えることがある「雲海」も、「私の神」を
感じさせてくれます。

 雲の絨毯(じゅうたん)を見下ろすと、まるで自分が、神々の世界
に迷い込んでしまったような感じがするのです。



 厳冬期の登山でしか見ることができない、新雪の山々の景色も、
「私の神」を感じさせてくれました。

 新雪の山は、ほんとうに美しく、とても清浄で、穢(けが)れという
ものが全くありません。

 厳冬期の山は、手足が凍傷になるほどの厳しい環境ですが、
それにもかかわらず、なにかスーッと引き込まれるような、とても
強い魅力があるのです。


 また、ちょっと危ない感じがするかも知れませんが、

 厳冬期の登山中に、「このまま倒れて雪に埋もれてしまっても
かまわない」というような、大きな安らぎと満足を感じたこともあり
ました。


 ちなみに、

 現在の私が、厳冬期に登山をしたら、確実に死んでしまうでしょう。

 なので、もうそれは不可能ですが、若いときに冬山の経験をした
ことは、私の人生の宝になっています。


             * * * * *


 以上、

 「私の神」を感じさせるものを、いろいろと思い出して、書き連(つら)
ねてみました。



 そうしたら、笙(しょう)やパイプオルガンなどの楽器を除けば、

 星空、太陽、雲、山、川、海、大樹などの雄大な自然に、「私の神」
を感じさせるものが多いと分かりました。



 なので、やはり私も含めて、おそらく多くの人が、

 大自然を前にすれば、神々(こうごう)しさを感じてしまう性質を、

 もともと持っているのではないでしょうか。



 一方、笙やパイプオルガンなどの楽器は、

 神社や教会などに集まった人々が、神々しさを感じられるように、

 工夫(くふう)して人工的に作られたのだと思います。


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