私の神 3
2022年2月13日 寺岡克哉
●「私の神」のイメージ
ここでは、
「私の神」にたいする、私が持っている「イメージ」について、
書いてみたいと思います。
まず最初に、
「私の神」にたいして、私は一体どんなイメージを持っているの
か、思い起こしてみました。
そうすると、
「感覚的なイメージ」と、「感情的なイメージ」を持っていることに
気がついたのです。
以下、それらについて、書いて行きたいと思います。
* * * * *
●「私の神」の感覚的なイメージ
まず、
「私の神」にたいする「感覚的なイメージ」についてですが、
これはさらに、
視覚的なイメージと、温度感覚的なイメージと、接触感覚的な
イメージがあることに、気がつきました。
「私の神」の視覚的なイメージは、
なんと言っても「光のイメージ」です。
光の色は、清らかな白色で、
ギラギラと照りつけるような、眩(まぶ)しい光ではなく、
この世のすべてを優しく照らすような、柔(やわ)らかで穏やか
な光です。
宇宙の中心に光源があり、宇宙全体を優しく照らすような光で
す。
「私の神」の温度感覚的なイメージは、
「春の日差しの暖かさ」とか、「気持ちいい布団の温(ぬく)
もり」のようなイメージです。
暑くなく、寒くもなく、ほんのりとした暖かさを感じるぐらいの、
とても快適な温度というイメージです。
「私の神」の接触感覚的なイメージは、
子供の頃に、父親に優しく抱かれているようなイメージです。
あるいは、
柔らかくて肌ざわりが良く、とても気持ちが良い布で、全身が
包まれているようなイメージです。
それに触れていると、
優しさと、暖かさと、自分が守られているような安心と、嬉しさ
を感じられるようなイメージです。
* * * * *
●「私の神」の感情的なイメージ
つぎに、
「私の神」にたいする「感情的なイメージ」についてですが、
これには、
「私の神」から、私に向けられている感情的なイメージと、
私から、「私の神」へ向けている感情的なイメージがあります。
そしてさらに、もう一つ、
私が「私の神」と向き合うことで、私の中に生じる感情もあり
ます。
つまり、
「私の神」から、私に向けられる感情的なイメージを受け、
私が、「私の神」へ感情的なイメージを向けることで、
それらとは別に、私の中に生じる感情があるわけです。
さて、
「私の神」から、私へ向けられている感情的なイメージは、
優しさ、穏やかさ、慈(いつく)しみ、暖かさ、愛されている、
守られている、自分の存在が赦され認められている、というよう
なイメージです。
それは例えば、
とても優しい父親や母親から、心からの慈しみを受け、暖かく
見守られているようなイメージです。
私から、「私の神へ」向けている感情的なイメージは、
無上の有難さ、感謝、崇高(すうこう)さ、敬愛の念などのイメー
ジです。
それは例えば、
理想の異性に恋焦がれるような気持ちを、もっともっと大きくし
たような、
しかし、その異性を決して自分の物にしたいのではなく、その
異性に自分の全てを捧げたくなるような、そのような感情のイメー
ジです。
「私の神」と向き合うことで、私の中に生じる感情は、
幸福感や、喜び、満たされている、というような感情です。
そして、それと同時に、この世界に対する愛(いと)おしさという
のも感じます。
それは例えば、
小さな子供を、ギューッと抱きしめたくなるような愛おしさを、
いま自分が生きて存在する、この世界全体にたいして感じる
のです。
* * * * *
以上、
私が持っている、「私の神」のイメージを、あえて分析的に
書いてみました。
しかし実際には、
上で書いてきた、感覚的なイメージも、感情的なイメージも、
それらすべてが同時に生じて、混然一体となったものが、
「私の神」のイメージとなります。
ところで、
ここまで読んで頂ければ、読者の皆さんに分かってもらえると
思いますが、
「私の神」のイメージは、
罪人に厳格な裁(さば)きを下したり、悪人に天罰を与えたり、
不道徳で不浄な都市や国を、天変地異で滅ぼしたりすると
いうような、
いわゆる「厳しくて恐ろしい神」というイメージではありません。
そうではなく、「私の神」のイメージは、
暖かい光に満ちていて、優しく、穏やかで、愛情深く、
大きな喜びと幸福を、私に与えてくれるというイメージなのです。
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