私の神 1
2022年1月30日 寺岡克哉
●プロローグ
今にして思うのですが・・・
私の人生の目的は、「神の探求」であったような気がします。
かつて私が大学生のときに、山岳部に所属して、厳しい自然
の中に身を置いていたのも、
大学院生のときに、自然科学(物理)を研究していたのも、
そして現在、本サイトでエッセイを書き続けているのも、
それらすべてに共通する動機が、「神の探求」であったような
気がするのです。
それで、私の人生の集大成として、
「私の神」について書き残しておきたいと、つよく強く思うよう
になりました。
ここで「神」ではなく、あえて「私の神」としたのは、
私の考える神、私の感じる神、私の求める神について、書こうと
思うからです。
ところで私は、
「神のイメージ(つまり神観)」というのは、人それぞれであり、
神を信仰する100人の人が居たら、100通りの神のイメージが、
存在するのだと思っています。
ちなみに現在、
世界の宗教人口は65億人ぐらいなので、この地球上には、
65億通りぐらいの、神のイメージが存在するでしょう。
つまり「神のイメージ」は、
人それぞれの受けた教育、生活環境、人生観、世界観に大き
く拠(よ)っており、
まったく同一の「神のイメージ」などというのは、厳密には存在し
ないと、私は思っているのです。
それなのに私が、「私の神」について書こうと強く思うのは、
まず第一に、「神の探求」が私の人生の目的であり、「私の神」
について書くことが、私の人生の集大成だからです。
つまり「私の神」は、私の人生観や世界観の、集大成なのです。
しかし、それだけでなく、
「私の神」は、「他の人の神」と、共通している部分や、共感して
もらえる部分が、少なからずあると思うからです。
そしてまた、
他の人が、それぞれ神のイメージを構築していく上で、参考に
してもらえる部分も、少なからずあると思うからです。
が、しかし私は、
「私の神」を、他人に信じ込ませようなどとは、ほんの少しも思って
いません。
なぜなら、
ある宗教を信仰する人々が、他の宗教を信仰する人々と衝突する
ことにより、
戦争や虐殺などの、ものすごく大きな不幸を生んだことは、人類
の歴史を見れば明らかだからです。
だから私は、
「私の神が絶対に正しい!」などと、読者の方々に強要するつも
りは、全くありません。
なので、読者の方々には、
これから私が書き進めていく「私の神」にたいして、
共感できるところは共感して頂き、「それは違う!」と思ったところ
は捨て去って頂ければ、
それでまったく良いと考えています。
ところで、本サイトでは今後、
「私の神」というシリーズでも、エッセイを書いて行くことになりま
すが、
このシリーズでは、「私の神」について、以前から考えていたこと
や、近ごろ新たに気がついたことなどについて、そのつど書いて
行きたいと考えています。
つまり、
このシリーズのエッセイは、「私の神」についての覚書(おぼえが
き)のようなものだと思って下さい。
なので、
話が前後したり、前の話と矛盾したりして、「行き当たりばったり」
になる所があるかも知れませんが、それについてはご容赦ください。
「私の神」に関しては、いま現在でも、たびたび新たな発見や
気づきがあり、
じつを言うと、「私の神」は、まだまだ進化している途中です。
そのため、だいたい10年後ぐらいまでには、
私の人生の集大成として、「私の神」についての、まとまったもの
を書きたいと考えています。
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