心の宝・愛すれば幸福!
                             2022年1月16日 寺岡克哉


 愛すれば幸福!

 これが幸福の本質であることに、最近やっと気がついたので、

 「心の宝」として、書き残しておきたいと思いました。


(「心の宝」の意味については、エッセイ1019を参照して下さい。)


            * * * * *


 愛すれば幸福!

 これは、今まで私の人生で発見した、最大で最高の真理です。



 愛すれば幸福!

 この真理にたいして、「外的な状況」は、いっさい関係がありま
せん。



 つまり、

 お金が無くて貧乏であっても、

 病気を患(わずら)っていても、身体障害があって五体満足で
なくても、

 家族や友人がいなくて、一人ぼっちであっても、

 さらには、自分の死に直面しているときでさえ、

 「愛すれば幸福!」という真理は、まったく揺らぐことがないの
です。



 その逆に、

 何億円もの金を持っていても、健康で五体満足であっても、

 家族や友人たちに囲まれて、賑(にぎ)やかに暮らしていても、

 身の安全が保障されて、まったく死の危険がなくても、

 怒りや、憎しみ、妬みなどの感情に、つよく駆られていれば、

 それは「不幸」以外の、何ものでもないのです。


            * * * * *


 ところで・・・ 

 近年まで私は、「愛さなければならない!」と、つよく思ってきま
した。



 つまり、

 隣人を愛さなければならない!

 嫌な人間であっても、愛さなければならない!

 さらには、罪を犯した人や、敵でさえも愛さなければならない!

 と、つよく思いを込めるというか、念じていたわけです。



 そのような自分なりの努力を、

 20歳代のときに新約聖書に出会ってから、30年間ぐらい続けて
いました。



 ところが、

 「愛さなければならない!」と、自分に義務を課して言い聞かせ、
いくら強く思いを込めて念じてみたところで、

 見ず知らずの人間や、大嫌いな人間や、犯罪者や、あまつさえ
自分に危害を加える恐れがある人間など、

 とてもじゃないけれど、愛せるものではありません。



 それで近年では、

 「憎い人間は、やはり憎いのだ!」

 「悪い人間には、どうしても怒りが込み上げてくるのだ!」

 「それが人として、自然な心の在り方なのだ!」

 「無理をして善人を演じたとしても、自分勝手な悪人の餌食(えじ
き)になるだけだ!」

 などと思い直し、「愛さなければならない!」という考えを捨てて、

 怒りや憎しみの感情を、あまり抑えようとはしませんでした。



 そうしたら私の、

 他人を受け入れる心が、だんだん狭(せま)くなって行きました。

 つまり私が、狭量(きょうりょう)な人間になってきたわけです。



 そして、

 外を歩いているときなどに、他人が自分の前に割り込んできたり、
他人のグループが大声で話をしているなど、

 そのような、ちょっとしたことでも、怒りや不満をつよく感じるように
なりました。

 そして、ついには、

 毎日のように、何らかの怒りや不満に悩まされるように、なってし
まったのです


 つまり私は、どんどん不幸になって来たわけです。


            * * * * *


 ところが、そのように不幸な状況の中にあっても、

 外を歩いているときなどに、可愛(かわい)らしい子供が笑顔で
私に近寄ってきたり、

 愛情にあふれた話(小説や漫画、アニメなどのフィクションも含む)
などを、見聞きしたりして、

 ふと、「愛の感情」で自分の心が満たされると、怒りや不満がスッ
と消えて、大きな幸福を感じることが分かりました。



 そして、

 そのような体験を繰りかえしているうちに、最近になって私の中に、
とつぜんの閃(ひらめ)きが起こったのです。

 「愛さなければならない!」のではなく、「愛すれば幸福!」なの
だと。




 私には、この発見が、天の啓示にも感じられました。



 つまり、

 「愛さなければならない!」と、自分自身をがんじがらめに縛(しば)
りつけるのではなく、

 幸福になるため、幸福を得るために、「愛する」のです。

 自分の幸福を最大限に追求するために、「愛する」のです。



 愛すれば幸福であり、

 愛することが出来なければ、幸福ではありません。

 そして、怒りや憎しみ、妬みなどに駆られていれば、それは不幸
なのです。



 ところで、上でも述べましたが、

 「愛すれば幸福!」という、この真理にたいして、「外的な状況」は、
いっさい関係がありません。

 お金が有っても無くても、体が健康であってもなくても、五体満足
であってもなくても、死の危険があってもなくても、

 愛すれば幸福なのです。


             * * * * *


 「愛すれば幸福!」

 これは正(まさ)しく、幸福の本質であり、真理です。



 しかも、「愛すれば幸福!」という真理は、外的な状況によって、
まったく揺らぐことがありません。

 なので、どんな状況の人でも、愛すれば幸福になることができ
ます。



 つまり、「愛すれば幸福!」という真理は、

 原理的に、どんな人でも幸福になれる真理であり、どんな人
でも救われる真理なのです。




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