一人ぼっちの幸福
2022年1月9日 寺岡克哉
皆さんは、正月をどのように過ごされたでしょうか?
私の場合は、
生まれて初めて、「一人ぼっちの正月」を経験しました。
家には、私一人しかおらず、来客の予定も無かったので、
正月用の料理も、何一つ準備をしませんでした。
適当な惣菜(そうざい)と、インスタントラーメンと、レトルト
カレーと、お菓子で、
正月の三ヶ日を過ごしてしまいました。
心臓発作を抑える薬を服用しているので、「お酒」を飲む
ことも出来ません。
しかしながら、
寂(さび)しさとか、虚(むな)しさとか、不満とかを、まったく
感じることはなく、
何だか、とても満足した正月になったのです。
一人ぼっちの正月なのに、なぜ満足した気分になれたのか、
ちょっと不思議に思ったので、
どうしてなのか、その理由について、すこし考えてみることに
しました。
* * * * *
そうすると、まず、
正月用の料理を、準備しなければならないとか、
病院が正月休みの期間中に、がんを患(わずら)っている
父(昨年の4月に死亡)の容体(ようだい)が、急変したらどう
しようとか、
そのような心配をする必要が、ぜんぜん無くなったので、
「まったくストレスのない正月」を迎えることができたのが、
直接的な理由であることが分かりました。
しかしながら、もっと根本的な理由として、
私は「一人ぼっち」になるのが、大好きな人間であることに
気がついたのです。
つまり、正月にかぎらず、
もともと「一人ぼっち」になるのが、私は大好きたったのです。
なので、一般的に考えれば
正月に一人ぼっちでいるのは、ものすごく寂しいはずですが、
私は、寂しさや虚しさを、まったく感じることが無かったわけです。
しかし、なぜ私は、「一人ぼっち」が大好きなのでしょう?
その理由については、
私の人生観や価値観の全般に関わることなので、ちょっと簡単
には説明できません。
そのため、これから機会があるたびに、少しずつ説明して行きた
いと考えています。
しかし、とにかく、
「一人ぼっちは可哀(かわい)そうで不幸」などとのは、ごく一般的
な先入観であり、
すべての人に当てはまるわけではなく、
また、どんな人でも、場合によっては当てはまるわけではないと、
私は実感をもって、確信している次第です。
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