般若心経について 4
                            2021年12月19日 寺岡克哉


 じつは、

 私は毎日、仏壇の前で、「般若心経」を唱(とな)えています。



 しかし、これまで説明してきましたように、

 般若心経というのは、仏教の教え(仏教思想)を、説話として
まとめたものであり、

 迷える霊を成仏させたり、死者の霊を慰(なぐさ)めたりする
ものではありません。



 それでは、なぜ私が般若心経を唱えるのかというと、

 両親が死んで、一人暮らしをするようになってから、

 一日中、まったく人と会話をしないこともあるぐらい、声を出す
機会が無くなってしまったからです。



 そして、あまりにも声を出していないと、

 私の脳の言語中枢が、おそらく「なまくら」になるのだと思われ
ますが、

 とつぜんの電話などで、いざ声を出そうとすると、うまく会話を
することが出来なくなったからです。



 ところが!

 1日に1回、発声練習がわりに、般若心経を唱えていると、

 いざ人と会話をしなければならなくなったとき、スムーズに会話
が出来るようになったのです。



 このような意味で、

 般若心経を唱えることには、やはり御利益(ごりやく)があるの
ではないかと、

 思えなくもありません。


           * * * * *


 ところで、

 般若心経に限らず、どのような「お経」でも、唱えれば御利益が
あると言われます。


 その理由は、

 まだ文字が存在しなかった昔の時代において、お経を後世に
伝えるためには、「暗唱」をするしかなかったからです。


 そのうえ、

 たった一日でも暗唱を怠れば、お経の内容が間違って伝わる
可能性があります。


 それで、

 お経を毎日暗唱することを推奨するために、「お経を唱えると
御利益がある」と、言われるようになったのでしょう。


            * * * * *


 それと似たような理由で、

 お経を書き写す「写経」も、御利益があると言われます。


 これは、

 文字は存在するけれども、まだ「活版印刷」の技術が存在しな
かった時代において、

 「お経」を複製し、普及させるためには、「書き写す」しか方法が
なかったからです。


            * * * * *


 ここまで述べてきましたように、

 般若心経を唱えたり、写経をすると、御利益があると言われま
すが、

 じつは、それを行った本人に、直接的な御利益がある訳では
ないと、私は考えています。



 それよりは、むしろ、

 仏教思想を正しく後世に伝え、広く普及させることで、

 「社会的な御利益に貢献する」というのが、正しい意味合いで
はないかと思うのです。



 たしかに、

 お経を唱えたり、写経をすると、それを行った本人の心が安定
するので、直接的な御利益も、まったく無いわけではありません。


 さらには、

 仏教の教えが広まることで、社会が安定して平和になれば、

 それがまさに、「自分への御利益として返って来たのだ」と、
考えることもできます。



 なので、以上のことを全部ひっくるめて、

 般若心経(に限らずお経一般)を唱えたり、写経をすれば、

 「御利益がある!」と、今日(こんにち)まで言われ続けてきた
のだと思う次第です。



      目次へ        トップページへ