心の宝・トルストイの人生論
                             2021年10月3日 寺岡克哉


 まず、いちばん最初に、「心の宝」として私が挙げたいのは、

 トルストイの「人生論」(原卓也・訳 新潮文庫)という本です。



 というのは、

 この本が、私の人生にたいして、いちばん大きな影響を与えた
からです。

 物事(ものごと)にたいする、私の捉(とら)え方や感じ方、ある
いは考え方など・・・ 

 つまり、私の人生観や世界観、あるいは生命観などは、この本
の影響によるところが非常に大きく、

 この本に出会ったことで、私の人生が大きく変わったと言っても、
まったく過言ではありません。



 もしも私が、トルストイの「人生論」に出会わなかったら、

 拙書「生命の肯定」を出版することは、絶対に無かっただろうし、

 本サイトで執筆活動を続けることも、絶対に無かったと思います。



 私にとって、この本に出会えたことは、ほんとうに「心の宝」なの
です。

 これまで私が読んだ中で、一番おすすめの本を挙げるとすれば、

 やはり、トルストイの「人生論」を推(お)します。


            * * * * *


 ところで私は、

 トルストイの「人生論」を、これまで30回以上は読んでいます。

 しかしながら、いちばん最近に熟読したのは、拙書「生命の肯定」
を執筆していたときだったから、もう20年ぐらい前になります。



 そのため、

 今回のエッセイを書くにあたり、およそ20年ぶりに、この本に目
を通してみました。



 ちなみに私は、今年で58歳になりましたが、

 トルストイが「人生論」の草稿を書いたのも、58歳のときであり、

 「同じ年齢になった私が読んだら、一体どんな感想を持つのだ
ろう?」

 という疑問も、ずっと以前(20歳代のころ)から抱(いだ)いてい
ました。



 そのようなわけで読んでみたのですが、

 トルストイの「人生論」は、(私にとって)かなり難解な本なので、

 やはり今でも、分からない所は、さっぱり分かりませんでした。



 どれぐらい理解できたかというと、

 トルストイの「人生論」は、全35章から成っていますが、

 1章~31章までは、9割ぐらいは理解できたかと思います。

 しかし32章~35章は、半分ぐらいが何となく理解できたものの、

 あとの半分は、いったい何を言っているのか、さっぱり分からな
かったというのが正直なところです。


            * * * * *


 ではありますが、ほんとうに良く理解できるところも確かにあり、

 そのような所を読むと、私のことを何でも分かってくれる、大親友
に再会したような気持ちになります。

 また、

 私をよく理解してくれる人に、暖かく迎(むか)え入れられ、抱擁(ほ
うよう)されているような、「大きな安らぎ」も感じます。



 ところで、

 上のような感想は、これまでに何回も持ったことがあるのですが、

 それとは別に、今回、初めて持った感想もありました。



 それは、人生の大先輩であるトルストイから、

 「おまえ最近、ちょっと弛(たる)んでるのではないか!」

 と、叱咤(しった)を受けているような気持ちになったり、


 あるいは、

 「この部分、なにが言いたいのか、ぜんぜん分からない。
もっと、ちゃんと説明して!」とか、

 「この主張は、ちょっと間違っているのではないか!」

 などと、私がトルストイに、食ってかかりたくなるような所もありま
した。



 それだけ、

 トルストイさんと私が、さらに仲良くなった(喧嘩するほど仲が良い)

 と、いうことなのだろうと思います。



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