心の宝・プロローグ
                             2021年9月19日 寺岡克哉


 現在、私は58歳になりますが、

 じつは60歳まで、私が「本当に書きたい文章」を書くための、

 修行の期間にしようと思っていました。



 ここで、私が「本当に書きたい文章」というのは、

 人間の「良心」や「愛」について、あるいは、人間性の優れた
「人物」についてなど、

 とにかく「人間の良い部分」や「良い人」についてです。



 つまり人間の存在が、

 良いもの、すばらしいものとして、肯定できるような文章です。


           * * * * *


 しかしながら・・・ 

 最初から「人間の良い部分」だけを書くと、

 「単なる理想主義だ!」  「偽善だ!」  「脳ミソが花畑だ!」

 「人間はもっと悪い生き物であり、現実を見ていない!」

 などなど、このように思われてしまう読者の方も、少なからず
居るのではないでしょうか。



 それで本当は、あまり書きたくなかったけれど、

 いじめ、差別、児童虐待、殺人、テロ、戦争、環境破壊など、

 「人間の悪い部分」についても、これまでずいぶん書いてきた
つもりです。



 そして、「人間の悪い部分」を直視し、それを書いていると、

 「こんな人類など、滅(ほろ)んでしまえば良いのだ!」

 という思いに駆られてしまうことも、正直けっこうありました。



 が、しかし、そうではあるけれど、

 人間にも「良い部分」が存在するのは、絶対に確かであり、

 それを否定することは、決して出来ません。



 そこで、

 「人間の悪い部分」を、しっかりと直視したうえで、

 それでも否定することができない「人間の良い部分」に
ついて書こうと、

 ずっと以前から考えていたのでした。


          * * * * *


 しかしながら私は、60歳になるまで「修行の期間」と思って
おり、

 それまでは、人間の悪い部分や、政治、経済、国際問題
などの「人間の現実」を直視しつづけ、

 それらについて書いて行こうと思っていました。



 ところが・・・ 

 一緒に住んで私が介護をしていた両親は、すでに二人とも
亡くなってしまい、

 私自身も、心臓発作を抑える薬を飲み続けるようになると、

 「人間が死ぬときは、ほんとうに突然に、あっさりと死んでしま
うものだ」

 「そして自分も、いつまで生きられるのか、ほんとうに分かった
ものではない」

 という思いが生じてきたのです。



 それで、修行が終了するのを2年ほど前倒しして、

 書きたいものが書けるうちに、今から書いて行こうと思った次第
です。


            * * * * *


 ところで、

 人間の良い部分に触れ、自分もそうありたいと願い、それが
人生の指針になること。

 それを私は、自分が生きる上での「心の宝」だと思っています。



 なので今後、

 上のようなテーマで書いたエッセイには、題名の頭に、

 「心の宝・」というタグ、つまり札(ふだ)を付けることにしました。



 また、

 自分の人生に影響を与えた、物の見方や考え方(大げさに
言えば思想)。

 あるいは、自分で気づいたり自分が発見した、物の見方や
考え方。

 これらも、私の人生の指針となっており、「心の宝」だと思って
いますので、

 そのようなテーマのエッセイにも、「心の宝・」というタグをつけ
たいと思います。



 つまり、「心の宝・」というタグをつけたエッセイは、

 ほんとうに私が書きたいと思っている文章であり、

 私が生きているうちに、ぜひとも書き残しておきたいと思って
いる文章なのです。


 読者の皆さまには、そのように、ご理解して頂ければ幸いです。



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