スポーツ競技の理不尽さ
2021年6月6日 寺岡克哉
ここのところ、
コロナ禍での東京オリンピック開催問題で、テレビなどのマスコミを
騒がせていますが、
私は、それらを見ていて、
以前から常々(つねづね)思っていたことが、再び意識に上ってき
ました。
それは、
スポーツ競技ならば、まったく当然のことなのですが、
べつの見方をすれば、「スポーツ競技の理不尽さ」とも言えるもの
です。
つまり、それは何かと言えば、
「スポーツ競技は、大会で勝たなければ意味がない」と、いうこと
です。
これは別に、
競技に負けた選手やチームが、可哀(かわい)そうで理不尽だと
いうことではありません。
それとは、ちょっと違う意味で、スポーツ競技にたいする理不尽さ
を感じているのです。
以下、そのことについて書いてみたいと思います。
* * * * *
さて、私が上で述べた、
「スポーツ競技は、大会で勝たなければ意味がない」というのには、
二つの意味が含まれています。
まず、一つ目は、
大会の開催中で試合がある、「その日に勝たなければ意味がない」
と、いうことです。
たとえば、ある選手が、
たまたま試合の日に、病気をしたり、怪我をしたり・・・
あるいは、なにか他のトラブルによって、試合を欠場しなければ、
ならなくなったら・・・
その選手は、それまで行ってきた努力の、すべてがムダになって
しまいます。
そして、二つ目は、
これは東京オリンピックの問題にもなっていますが、たとえば新型
コロナウイルスなど、その他さまざまなことが原因で、
「大会そのものが中止」になってしまったら・・・
その大会に出場する予定だった選手たちは、それまで行ってきた
努力の、すべてがムダになってしまうのです。
* * * * *
以上のようなことが起こるのは、
スポーツ競技ならば、まったく当然であり、それに対して疑問の
余地がありません。
しかしながら、
そのようなスポーツの分野とは、まったく対極にある分野も存在し
ています。
それは、たとえば学問や芸術の分野です。
学問の研究成果や、
絵画、彫刻、詩、小説、音楽などの芸術作品は、
(発表の締切日が存在する場合もありますが)基本的には、いつ
仕上げても全く問題がありません。
それどころか、
成果や作品の発表後、何年も経ってから評価されるような、
そのような研究成果や芸術作品が存在することも、まったく珍(め
ずら)しいことではないのです。
* * * * *
ちなみに私は、
以前は、大学研究室という「学問の分野」に従事しており、
現在は、いちおう「物書き」という作業をしています。
つまり、
何回も実験をやり直したり、何回も文章を書き直したりして、
いちばん良い結果のものを、発表することができる分野に、ずっと
属しています。
なので、どうも私は、
たった一発勝負で、それまで積み上げてきた努力が報われるか、
まったくムダになってしまうかという、
スポーツ競技のような分野には、やはり「ある種の理不尽さ」を感じ
ないでは、いられない次第です。
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